ダンブルドアが使用可能な頭から白い糸で記憶をとりだしておく機能。

あれは貼り付け保存であって、切り取り保存ではない。

だがしかし、切り取り保存の機能をもし現代の世の中で使えるのであれば、使いたい人はどのくらいいるのだろうか。

人の思い出には表裏一体がある。
単一の思い出には常に紐付いた関連性のある思い出、習得した知識や趣味などがある。

仮にとてつもなく嫌な思い出だったとしてもそこにはなにかしらのポジティブな産物がないともかぎらない。(これは完全なる犯罪は例外である)


映画「エターナル・サンシャイン」では、切り取り削除をしてくれる。
ダンブルドアがものの数秒でやりとげる記憶抽出の技を何時間もかけて削除する。

だがしかし、どんな思い出を削除しても、心の反応の記憶を取り除くことはできないという話である。

現代においてどれほどの人々が嫌な思い出、思い出したくもない消したい思い出をもっていることであろうか。
また、いままさに辛い思いをしている人がいるかもしれない。

もちろん、現代においては「エターナル・サンシャイン」やダンブルドアのように記憶を自由に司ることは不可能だ。

ではこれとどう向き合っていくのか。

それは、やはり"ポジティブな産物"を見いだすことである。
わたしたちのなかに必ずやあるそのかけらのみ心にとどめる技をつかうしかないのだ。

無駄な出来事は何一つとしてない。
感情、感覚の波が正にも負にもすこしでも動くものはその人にとって有益なものなのだ。
なにも感じない人間ではないのだということを誇りに思えばよい。